it's time to fly again

いつも元気でいたいオタク

ファンという概念への感謝

みなさんお久しぶりです。古のポン酢です。
放置しすぎてすみませんでした、放置しすぎて本物のポン酢なら腐っちゃうよね。ちゃんとオタクっぽいこと書きたくて復活しました。

 

実際、本物のポン酢は1カ月やそこらの放置では腐りませんよ、開封後常温4か月くらいは大丈夫らしいです。(何の話や)

 

久しぶりの更新になったのには、少し理由がありまして。

以前、1つ記事を更新したら、批判的な意見が2つ飛んできたんですよね、なのでしばらく自主謹慎してみました。

 

若手俳優のオタク向いてないからやめろっていわれちゃったんですけど、若手俳優とか云々以前にオタクはやめたいよ!!やめられないから困ってるんだよ!!ってなっちゃいました。
若手俳優のオタク向いてるって逆に何なんだ。そんなこと言ったら世の中のほとんどの人は向いてないでしょうよ。うっ…オタクやめたい…
私の記事を読んで不快な思いをされた方がいるのは事実なので、該当の記事は下書きに戻しました。気分を害された方はすみません。

 

それとは別で、伏せてくださいと言ってご自分のことをお話してくださった方、本当にありがとうございました。貴重な意見だったし、思いついていない世界だったので、目から鱗でした!本当にありがとうございます。
きちんとお返事できずに申しわけないです…。ちゃんと目は通させていただきましたので!本当にありがとうございました。


さて、2019年も2カ月が経過しましたね。

たったの2カ月とは思えないくらい推しの現場に足を運んでいます。もう体感で半年分くらいには現場に行きました。

でも2019年になっても推しは相変わらず優しくて幸せです。

平成最後なんだな~って思いながら、平成最後を思い返すと推し一色なので、すごく幸せな元号末(?)を過ごせています。

平成最後の夏も、平成最後の秋も、平成最後の冬も。そしてこれから訪れる平成最後の春もきっと、推しは舞台の上で輝いて、最高の景色を見せてくれることでしょう。楽しみ!!!!

 

皆さんは平成最後の舞台はなんですか?私はもちろん推しの舞台です。

こんな幸せだな~って思う中ですが、いろいろ考えてしまうオタクなので、一つ、わかる…と思う記事を発見してしまいました。勝手に引用させてもらいます。

 

私の代わりはたくさんいるので。 - _

 

これめっちゃわかるんですよね。優しさって時に残酷で、ふと我に返った時の虚しさに押しつぶされそうになる。


昨日友人とこんな話をしました。

私たちの推しが大切にしているのは「ファン」ではなく「ファンという概念」だと。

もちろん、中にはファンの一人一人の顔を思い浮かべて、「いつも沢山の応援ありがとう」と言っている人もいます。

そういう人を応援している友人もいて、その人の個イベの話とか聞くと素直にうらやましいし、あまりにも人間ができすぎていて感動でこっちが涙してしまうレベルです。

 

でも、そうじゃない人の方が多くて。「いつも沢山の応援ありがとう」って言っていても、それを向けている相手の顔を一人ずつ思い浮かべてはいないなって感じてしまうことが多いです。

あくまで「俺のことを応援してくれている集合体」に対しての感謝なんですよね…。

ファンである私たちは、その大きな集合体に入れているだけで本当は有りがたくて、それだけでも幸せだと感じなければならないんだと思います。
あくまで1対大勢の関係であること、それは理解している。

 

でも、こっちが勝手にやっていても、やっぱり私たちからしたら自分は個人でしかないから、1対1だと勘違いしてしまう。

本当に図々しいな、オタクのくせに…あ~自己嫌悪です。頭では理解しているはずなのに本当に贅沢な考え方になってしまうのやめたい!

 

これから、たとえばの話をします。
美しいものに例えるので、オタクがこんな美しいものになれるとは思っているわけではないですが、すごくしっくりくる表現を見つけてしまったので、そのまま書こうと思います。

 

そこにお花畑があったとして、その花畑の全体をみてきれいだと思ったり、心が癒されるとしたら、その感情は嘘ではないし、持ち主が「このお花畑が大切だ」といっているのも、正解だと思うんですよ。

 

でも、あくまで大切にされているのは「畑」であって中の一輪一輪のお花ではない。

たとえばそこにあったチューリップが枯れて、そこに向日葵が咲いたとして、でもそれは結局そこに「きれいなお花畑」があることに変わりはない。下手したらその変化にさえ気づいてもらえないかもしれない、間違いなくそこにチューリップは咲いていたはずなのにね。

 

凄くきれいだったり、沢山身がなってきたりして、少し気になる花が咲いていたとして、そのお花畑をより輝かせるために、その花を特別にメンテナンスしてくれることはあるかもしれない。

 

でも、その持ち主がきれいな状態に保ちたいのは、あくまでその1輪の花ではなく、その花が咲き続けられる「畑」なんだと。

 

そういう話をして友達と凄く盛り上がりました。そしてつらくなりました。バカだからすぐ自爆するんだなぁ!!

 

そのお花畑の中で、1輪だけ変わったお花があって、それがいい意味で変わっている花だとしたら、少しは印象にのこって、枯れてしまった時に少しだけ何かを想ってくれるかもしれない。
もし悪い意味で変わったお花なら、いつかは切り捨てられることになるのか、他の花に悪影響を与えないように何かしらの対策が取られるのか。

そうして、1輪1輪の個性に目を向けてもらえることもなくはないけど、持ち主が感じているのは、無数に咲く花に対しての、そこに存在するお花畑という集合体への「愛情」でしかない。

 

すっごく切ないけど、ファンってそういうものなのかもしれないし、俳優の「ありがとう」もそういうものなのかもしれないなって。


あ~寂しいな。せめてその花畑を少しでもいいものにできるように、理想の花として生涯を終えたい。

 

でもたまに、お花畑という全体にではなくて、1輪1輪のお花に目を向けて
今日もきれいに咲いてくれてありがとう、って思える人もいるんだと思います。
なんてことないチューリップが枯れたことにも、ちゃんと気づける人もいると思う。
そういう人は本当にすごいし、その人を応援できている人は心からうらやましいなって思います

 

なんかお花畑に例えるととたんにポエミーになりますね。

 

でもこの話すごくせつなくないですか?私はもうこれを書きながらすごいくっ…ってなってます。

 

推しはいつも優しい。推しも1人の人間だから、おーい!って感じる時が全くないわけでないけど、そういう所まで含めて愛しいし、大好きだなって思っています。

 

ただ、自分自身の存在を過大評価しすぎてしまう部分があるのが、私のダメな部分です!なんで自分に自信ないくせに無駄に理想だけは高いのか。わかってるのになおせない!積んだ!!!

 

もし、推しが私のこと、概念の一部ではなく、1個人としてちゃんといつも優しい言葉や笑顔をくれているとしたら、それは本当に幸せだし、ファン冥利に尽きるなって思います。そんな幸せなことはないなぁ。

 

優しい推しを持つといつだって不安と背中合わせ。

 

一番信じたいし信じているはずなのに、一番信じられないのはなんでなんだろうか。

 

こんなことを考えていても答えはでないし、毎日推しへの好きがあふれて止まらないので、今日も明日も推しの方に向いて咲き続けようと思います。

 

 

 引き続き設置してます。